或る百合雑誌を読んで
小説や漫画、特に漫画等で女性の描く学生風景という物に触れると、自分の過ごしてきたそれと大きく異なっている事に気づき、いつも驚かされる。
自分で言うのもなんだけれども、僕なりに悩みは多かったし、それなりに多感な学生時代を過ごしてきたつもりだ。しかし、それ以上に彼女達、女流作家の描く学生風景は繊細で情緒的な事が多い。登場人物の心象が描かれる場面でそれは特に顕著で、いつも舌を巻かされる。
作家の多くは自身の経験を切りとって作品を作っている訳で、そういう学生時代、特に小学校であったり、中学校であったり、高校であったり、若い頃の事を描く作品は当然作者自身の経験してきたことが下敷きになっている。
そのことを知ってからというもの、優れた青春時代の情景を描いた作品に出会う度に、当時の自分はこんなセンシティブな事を考えていただろうかと、僕はため息をつく。
男性特有のサバサバとした付き合いの中にいるか、女性特有の粘り気のある付き合いの中にいるかでここまで変わるのだろうか。
所謂メンドクサいタイプの人が多すぎるのに、一緒にいる事を強いられているようで、男の側からみていて女性の人間関係は大変そうだな、と思うことが多々ある。
そういう中にいると磨かれるものがあるのか、はたまた僕が無頓着すぎるのか。
まぁそれは置いておいて、そういう感性の豊かさの差が、性差として「情緒的な物を描けるのが女性の強み」という認識の根本にあり、そしてそれが事実として作用しているのは明らかである。
女流作家の描く百合的な書物が面白いのは、きっとそういう性差や感性の差が濃縮されているからだろう。