二条城絶叫

john fruscianteと荒木飛呂彦と舞城王太郎と伊藤計劃が好きすぎて二条城にて絶叫。連絡先は2jojojotaroアットマークgmail.com まで。 Last.fmのアカウントはhttp://www.lastfm.jp/user/nijojo

中国旅行記

 飛行機の中でこれを書いている。

 

 目的は天門洞を始めとした有名高山地でのタイムラプスムービー撮影という事で非常にハードなスケジュールだった。天門洞がどういうところかと言えば、人生で一度は訪れたい絶景の地として有名な場所なのでとりたてて何かを書く事はないと思う。山肌を削って取ってつけたような歩行地。上るのがどうしようもなく辛い階段。思いのほか多いアングロサクソン系の旅行客。高地であるため薄い空気、にもかかわらず薄く汚れた空。些末な点がいくつも気になり安直に喜ぶことが出来なかった、というのが素直な感想。とはいえ、珪岩が多い事に起因する、巨大石柱の上に苔や植物を散らしたような武陵源の独特な山岳光景は物語の世界に出てくる中国の風景そのままであって、やはり感慨深いものが胸にこみ上げて来て止まらなかった。絶景は絶景である。

 

 しかしまぁ中国は広い。やたらと広い。とにかく広かった。建造物に於ける詰めの甘さや食の偽装、大雑把すぎる装丁など、中国文化のあらゆるところに染みついているハリボテ感や無神経さの原因がその広すぎる国土にある事が良くわかった。逆に、日本人のように異常に細かい部分までこだわる性質というのは国土が狭い所に起因しているだろう。中国の食文化が異常発達しているのも広すぎる国土のせいで、水源が乏しい為発達しなければならなかった保存食文化と、娯楽を食に求めざるを得なかった点の合わせ技だろうと思った。中国の食文化はとにかく粉物と香辛料だ。どちらも保存食である。粉物は大きく分けて麺類と饅頭であるが、いずれも技巧を凝らして発展していて無数のメニューがある。麺ひとつとっても、本式(中華式)のラーメンから焼きそばのような汁無し蕎麦まですべては中国の発明である。水餃子やチヂミまであるし、粉物文化の豊かさという点では圧倒的にイタリアよりも中国に分がある。

 肉を余すところなく食す文化も食料品に乏しかったが故発達したのだろうと思う。とにかく中国人は何でも食べるのだ。牛肉であれば骨すらも食っている節がある。たとえばアメリカであれば、食用として通用するのは、牛の筋肉部位のみであって、内臓はあまり食われていない。(睾丸を山の牡蠣として食う地域もあるがあくまでアメリカの一部にすぎない)、中国では内臓を当然のように食う。目玉も食う。脳みそも食う。耳もサラダにして食う。ホルモン部位を彼らは大喜びで食う。中国人の手に掛かれば人間すらも食料として姿を変えてしまうのではないか?という勢いだ。まぁ実際食ってたんだろう。故事や昔話からするに。

 日本では店を選ばなければ食べられないような生物たちが中国ではありふれた食物として提供されていて、わたしは8日近い中国滞在の間に、アヒル、山羊、鹿、馬、牛、豚、蛙、タガメ、芋虫、蜂、猿、ロバ、猪、犬、鶏、鳩……ざっと思い出すだけでこれだけの動物を制覇した。魚類も恐らくは珍しい物があったのだろうが、中国の淀みきった川を見るとあまり食べる気にはなれなかった。

 

 そう、中国の水は終わっている。バックパッカーか貧しい中国人が好んで泊まるようなグレードの低いホテルでは水が濁っているのだ。比喩でなく、白か赤茶色が薄く溶けた水が水道から出てくる。もちろん中国人ガイドはこれを平然と飲む。料理や茶の文化が発達したのは確実にこのせいで、というのも、安い料理店であればあるほど料理の色と油分、味付けが濃くなる。薄い色、薄い味というのは高級さの象徴で、水が悪いと成立しないからだろう。とはいえ数千年に渡る切磋琢磨は水の悪さと食糧保存の悪さを乗り越え、腐っている物でもまったくわからない程に上手く料理され提供される。四川はかなり奥まった所にあり食糧事情が芳しくない。そんな四川は舌がしびれるほど香辛料の効いた食文化で有名だが、日本の内陸部であればあるほど塩漬けの食文化が発達しているのと同じ道理で、これは腐った物を無理やり食う為の人類の知恵だろうと思う。四川の料理は香辛料の香りがキツく鼻すら痺れてくる。

 

 貧富の差であるが、内陸部は未だに貧しい地域であった。都市部から車で離れるにつれ時代も巻き戻っていく。民家の壁が崩れかけ、そこから藁と土が覗いている、なんて光景日本では見る事が出来ないが、中国では在る。しかもその住民がipadのような物wを駆使しているんだから笑ってしまう。違法にアップロードされた海賊版で時間が無限に潰せるデジタル物が最優先で、家や服や食料品は後回しだ。

 そういう物を見ていると、中国景気はまだまだポテンシャルがあるんだなと思う。彼らの貧しさの原因は明らかに中国製品の価格が低い事にある。ノウハウが無い代わりに安さで世界市場をリードせざるを得なかったからだ。しかしノウハウが蓄積されてくると安さで勝負しなくてもよくなるわけで、それが市民生活に跳ね返ると中国の内需はかなり良くなるはずだ。日本で家電製品が売れないのは、既に十分な性能の物を誰もが持ってしまっていて、買い替え需要がまったくないからだが、中国は単に金が無くて買えていないだけだ。

 土地もあり、人もあり、需要がある、と言う事は、正しい金の流れにしてやれば日本と同じくらいの経済循環が簡単に出来上がる。しかしそれは机上の空論で、かれらの成長は外資の投入による処が大きいからだ。土地バブルに代表されるマネーゲーム。製造業を担う企業の株式保有者のリストを見れば、外国人と中国人政治家、或いは華僑の名前がずらりと並ぶ。

 資本主義であるから利益は金のある人間が多く持っていき、根底で汗を流している労働者に配分されないのは仕方ない事であるが、本来ならば市民に行き渡るべき金が、資本家や外国資本に吸い取られている訳で、それ故に貧しく発展できる余地があるのに発展しきれていない地方の現状があるのだ。

 故に、殆どの中国人は貧しいし、無駄に金を払うだけである著作権無視であったり自己の目的が達成された時点で労働契約を守らなくなる、といった不法行為にいともたやすく走る。すべての原因は、中国上層部の至福を肥やす仕組みと、株式の効力を最大限に生かし利益を霞め取る外資だ。しかもその不満は、何故か全て日本人に押し付けられている。殆どの中国市民が、彼らの生活が豊かにならないのは日本人が不当な商売をしているからだ、と盲信してる。

 

 これほどまでに中国が歪んでしまったのはなぜだろうか。

 

 中国都心部の高級ホテルに泊まった時、水道の水は恐ろしく澄んでいた。アメニティーも日本の物と遜色なく、吸い上げられた富がここにあるのだと痛感してわたしは薄ら寒い思いに囚われざるを得なかった。

 

 しかし、それ故に中国は倒れないだろう。貧民から吸い上げ至福を肥やし続けたいという人間がいる限り、中国のバブル崩壊はギリギリの所で押しとどめられる。