映画/真珠の耳飾りの女
とにかくこだわっているのはフェルメールの技法を映像に落とし込むこと。
油絵独特のテクスチャの粗さ、柔らかな光と極端な暗さ等、とにかく絵画的な質感の再現を追及していたように思う。
アングルにはこだわりが強く、どのシーンのワンカットをとっても絵として通用するのではないか、という完成度。
しかし、当時の風景を再現する為にこだわったであろう、CG合成の背景絵画の粗が目立つ。光と影のバランスが映像中と背景絵画で一致しておらず、集中して見れば見るほど、CG合成の背景絵画と映像がミスマッチで浮いて見えるほどだった。
絵画としての再現性という点は、瞬間瞬間の連なりだけでなく、ストーリー性でも再現されている。
絵画を見た時に浮かぶ、当時の人たちの生活。
映っている場面、その瞬間の後何が起こるのか、何が起こってこのシーンにたどり着いたのか。
絵にはそういうストーリー性があり、それを想像させる力が絵にはある。
当時の人たちの服装だったり、小さく映る小道具だったり、切り取られた表情だったり。
それを映画で再現するために、とにかくストーリーは間延びしていて、考える隙が観客に与えられている。
最近の映画に多い、親切すぎる説明や敷き詰められた伏線という物は最小限にとどめられ、映像での絵画の再現に貢献していた。
貫かれた美意識と設計は、形こそ違えど、2000年代以降に出てきた映画作品のどれにも見られるもので、それが日本映画に欠けているのは非常に残念である。
商業的な成功からそういう余裕が生まれ、芸術性の高い作品が生まれ、さらなる商業的な成功を生む、そういうサイクルから何故外れてしまうのか、考えるべきだと思う。