二条城絶叫

john fruscianteと荒木飛呂彦と舞城王太郎と伊藤計劃が好きすぎて二条城にて絶叫。連絡先は2jojojotaroアットマークgmail.com まで。 Last.fmのアカウントはhttp://www.lastfm.jp/user/nijojo

NOVELa

 愛は祈りだと誰かが言った。愛は祈りだ。祈りは言葉で、言葉は過去の事を語る時に物語となる。素晴らしい考え方だ。物語は、誰かの人生だ。主人公の人生が全くの創作でも、そこには作者の考え方、意思が存在するのだから。考え方や意思は人生の上澄みで、人生には必ず愛がある。受け取る愛もあれば注ぐ愛もある。つまり、愛は祈りで、祈りは言葉で、言葉は物語で、物語は人生で、人生は愛だ。全てがイコールで結ばれるのなら、人生は物語で、言葉で、祈りで、愛だ。愛と祈りと言葉と物語と言えば教会で、つまり僕はキリストの教えを信じている。中にはキリストの存在がインチキだと言う人もいるが、それは大した問題じゃあない。教えから何を学ぶか、それがもっと大事な事だからだ。数多くの教えを尊敬しているから僕はキリストを尊敬している。キリストを尊敬しているから彼の実在を信じる。尊敬は愛だ。愛は受容だ。卵か先か鶏が先かと言う問題の中で答えを決めつけるのではなく、その営みを真摯に受け入れる事が大切だ。そう僕は考える。キリスト教も、ユダヤ教も、イスラム教も、武士道も、行き着く事は愛する事なのだ。隣人を愛し、教えを愛し、伝統を愛し、主人を愛し、家族を愛する。実は全部伝えたい事は同じなんじゃないかと思う事がある。だから僕はこうしてキリスト教徒とユダヤ教徒とイスラム教徒と日本人が合同で集まる祭典に顔を出している。