二条城絶叫

john fruscianteと荒木飛呂彦と舞城王太郎と伊藤計劃が好きすぎて二条城にて絶叫。連絡先は2jojojotaroアットマークgmail.com まで。 Last.fmのアカウントはhttp://www.lastfm.jp/user/nijojo

書評/荒木飛呂彦/荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論

 これ絶対にゴーストライターだ。

 荒木飛呂彦というよりもジョジョのことが好きすぎて好きすぎて講演があるたびに毎回のように通いつめた私が言うんだから間違いない。本人とも何回か話したことがあるんだよ!これ本人が喋ってるのを書き起こしてる・・・というか飲み会で映画について荒木飛呂彦と編集が談笑してるのを録音しといてそこから飛呂彦が映画について語ってるようにゴーストライターが書き起こしてるよこれ。あるいは飛呂彦から渡された数枚分の草稿と挿絵をゴーストと編集が無理矢理新書の形にしたかのような違和感。編集段階で70%~80%くらい手が入ってて純然たる荒木飛呂彦部分は20%~30%くらいしかない。ひどい。

 

 ホラー映画論と銘打っているものの論の域まで高まっているのは中盤にあるホラー・ヒロインの要素分析くらいだし、映画に軸足を置きながらホラー全体について語る構成の方が良かったんじゃないか?それこそ村上春樹の”走ることについて語るときに僕の語ること”みたいにぼかしたタイトルにした方が良かったのでは。村上春樹のその本はマラソンについてでも走る事についてじゃなく、単にホノルルマラソンに参加した時の練習記録とその時感じた事の連なりになっていて、読者がそこからどんな要素を取り出すかは自由、例えばエッセイを見出すもよし、純文学要素を見出すもよし・・・みたいな作りになってる。荒木飛呂彦の今回の本なんかそれこそ内容をもっと薄めてだらだらと書いといて「ホラーについて語る時に僕の語ること」ってタイトルにしちゃえば喉から手が出るほど欲しい文学性も高まったんじゃないの。

 

 娘の結婚式に阿呆ほど金がかかるし、新居も用意してやりたいし、だから金が必要なんだよっていう荒木飛呂彦の懐事情はわからないでもないんだけど、こういう中途半端な物を出して見栄と名誉欲を満たしながら金も手に入れたいという下種い欲求の顕れを見るのは一ファンとしてとても辛い。それに振り回されて肝心の漫画は穴だらけ、休載続きになってるわけだし。

 正直グッチコラボとか海外の美術館に出張とか憧れのクリントイーストウッドに会いたいから対談という形でセッティングしてもらっちゃいましたテヘペロ、みたいないともたやすく行われるえげつない行為を荒木飛呂彦がやりまくっているのは勘弁してほしい訳です。

 そうじゃなくても知れば知るほど幻滅する要素が多いっていうのに、これ以上増やさないでほしいっていうのが本音。

 

 

 そういう知ってしまうと嫌いになる部分が多いのに、それでも漫画は面白いし生み出される作品には絵柄とかストーリーとか漫画的記号とかの概念とかの部分で確実に漫画界の先端を行ってる部分もあるし、だからファンを辞められないんだけど、そんな自分が「あの人には才能があるの」とか「あの人の良いところをわかってあげられるのは自分だけだから・・・」とか言ってDV男と別れにダメ女みたいに思えてしまって嫌だ。

 そんな風に、自分がどんなふうに荒木飛呂彦のことを考えているのかを考え直すには最適の一冊だった。